世界中の大きなサイズの人を笑顔にする!
2024.05.13 :L-Life編集部

BIGな流儀Vol.04 音楽は無限の可能性 音の力で誰かの勇気になり続けたい 声で魂をゆさぶる声楽家 河野陽介氏(102Kg)

心も体もビックな人の超一流な取り組みを掘り下げる「BIGな流儀」。日本各地で活躍するビックな人たちが熱く掲げる「世界中の人たちを笑顔にする」本気の取り組みに密着するL-lifeの連載4回目。

BIGな流儀Vol.01 障害児通所支援事業所を展開する鈴木彰伯氏(116Kg)

BIGな流儀Vol.02 沼津=北伊豆計画の先導者 沼津の魅力を発信し地域活性化に挑む小池祐一郎氏(110Kg)

BIGな流儀Vol.03 心も体も軽くする、五感に癒しを与える温もりの鍼灸師 大森太亮氏(105Kg)

社会貢献という名のビッグメンたちの本気の取り組みが世界中の様々な人の人生に楽しさという彩りを添える。大きいサイズのメンズ服通販サイト「ミッド・インターナショナル」が展開するビックサイズプロジェクト、「Proud of 100k(プラウド・オブ・ワンハンドレッド)」のモデルや日本各地で活躍するビックな人たちの想いを届ける連載企画の第4弾。

心の隙間をそっと照らし 唯一無二の「刺さる」歌声を目指す声楽家

東日本大震災から13年が経った、2024年3月11日。初めてSNS上で復興支援ソング「花は咲く」を歌ってみた河野氏。優しくも重厚な低音ボイスは身も心も癒やし、聴く人の脳を蕩けさせた。心が洗われるとは正にこのこと、自然と涙が流れるほど魂が揺さぶられる歌声を惜しげも無く披露している。

千葉県立佐原高等学校を経て、東京藝術大学音楽学部声楽科を卒業。ラジオのパーソナリティーやバラエティー番組出演など、声楽家以外の多彩な経歴とも相まって、気さくな雰囲気と柔らかな笑顔についつい親近感を抱かずにいられない。現在はTiKTokやYouTubeなどより身近なSNSでの発信、コラボレーションにも力を入れている。

クラシックの世界に限らず、プロ、アマチュア、世界中には多くの歌い手たちがいるのは言うまでもない。数多存在する歌手たちの中で河野氏の歌声がなぜこれほどまでに心に刺さるのか?

河野氏の幼い頃の環境や経歴などを紐解き、心に刺さる歌声の理由を探ってみた。

「実は最初から声楽家を目指していたわけでは無いんですよ。母が音大出身で音楽の先生だったこともあって、幼い頃から児童合唱団で歌ったり、ピアノを習ったりと自然に音楽に囲まれた環境ではありました。でもだからといって、ピアニストになりたい!とか、声楽家になりたい!とか、それほど強く明確な思いはもともとは無かったんです。」

インタビュー冒頭から、想像もしていなかった返答が・・・。声楽にそれほど強く明確な思いが無かったことを象徴するように、小中学時代は歌とは全く無縁のブラスバンドに熱を注いでいたそうだ。

本格的に歌に意識が向いていったのは高校生になってからだという。高校で合唱部に入部、外部講師として招かれていた先生の影響で、歌の世界にどんどん魅了されていったという。その出会いから本気で音大を目指すようになった。自分の人生の方向性が見えてきたのもこの時期だったそうだ。

幼い頃の環境、プロから学んだ部活動の経験、藝大までの道のりはスムーズだったのだろうと思い質問してみると、さらにまったく予想していなかった話を河野氏は聞かせてくれた。

「いいえ、実はようやく将来の方向性が見え始まって、音楽大学進学の希望が強まっていたタイミングで家族の自己破産を経験しました。父親は癌を患っていましたし・・・。高校生だった自分に経済的な不安が大きくのしかかって、光が見え始めていたはずの将来がいっきに閉ざされました。でも、それでも音楽をやりたい! 音楽を 続けたい!という気持ちは常に心の中にあって・・・。音楽に関わりながら生きていくには、音楽科の教員=公務員を目指したら経済的にも安定するかも?と思って、音楽教育科の受験を目指しました。」

漠然と憧れていた音楽への道を明確に決めた矢先の試練。それでも歌を愛し続ける想いが今に続く音楽への道を切り開いていく。恵まれた環境とは言えない状況で入学した 私立音大 。河野氏の試練はここで終わりでは無かった。大学入学後、理想と現実の大きなギャップから「鬱」を発症し、休学を余儀なくされたという。

私立音大の学費を始めとする音楽を学ぶための経済的な負担が、最も痛感した現実だった。また学生のモチベーションにもかなり個人差があり、勉強したい人の足を引っ張る者の存在も少なくなかった。

「自分自身は親の病気のことなどもあって、色々な葛藤の中でこの道を選んだという強い想いがあったので、その想いと目の前に広がる現実にかなりの衝撃を受けてしまいました。そうしたら、いつの間にか家から一歩も外に出られなくなってしまったんです。」

高校は県内でも有数の進学校ということもあり、優秀で多様な発想を持つ同級生たちに囲まれて高校時代を過ごした。大学では対人関係でもギャップを感じることが多かったという。対人関係や大学のあり方に疑問を感じ続け、自分は本当にこの場所にいるべきなのか?選択を間違ったのだろうか?と、自責の念に駆られ続けた。社会に対する自分の無知さにも腹が立ち、自律神経失調症を発症。一時、大学は休学することになってしまったという。

そんな精神的に追い詰められた状態の日々を救ってくれたのが「歌」だったと河野氏は満面の笑顔で語る。

高校時代の部活動でお世話になった外部講師が指揮者を務める合唱団に入り、歌う環境に身を置くことで自分自身を取り戻していった。

「合唱団で歌を歌っている時に、改めて思ったんです。僕はとにかく歌が好きなんだということを。歌に改めて魅了されたんです。その時に、憧れだった藝大を受けよう!と思いました。仮に何浪したとしても、トータルでみれば自分の音楽人生に変えようのない価値があると。ずっと優等生できていたので、浪人とか休学とかありえないって思っていたんですけど、そもそももう休学してしまったし、もういいや!!って、良い意味での諦めがつきましたね。」

そう当時を振り返りながら音楽や憧れだった藝大について語る河野氏の横顔は穏やかで揚々しい。

そうして21才の時に憧れだった東京藝術大学に進学が決まり、新たな音楽人生をスタートさせた。音楽の才を持って生まれてきた河野氏だが、ここまでの道のりは決して平坦なものではなかった。

自分1人の力だけではどうしようも出来ない環境や心と現実とのギャップ、人並みにいや人並み以上に悩んだからこそ、河野氏の歌声が人々の心に深くじんわりと温もりを届けるのだろう。河野氏自身の様々な経験から生まれた歌への想いが音となって心に届くからなのかもしれない。

おっさんレンタル、デブカリ、PO100Kを通して歌の楽しさや一歩を踏み出す誰かの力になりたい

大好きな音楽と共にあり続ける河野氏は、数年前からおっさんレンタルやデブカリなど、体格を活かした活動にも積極的にチャレンジしている。
2024年2月からは大きいサイズのメンズ通販サイト「MIDinternational」が運営する、PO100Kへの参加も決まり、音楽以外での活動にも力を注ぐ。

河野氏がこれらの活動に積極的に挑戦している理由とは?

「デブカリもおっさんレンタルもセルフプロモーションの一環です。いろいろなメディアや場所を通じて自分という声楽家を皆さんに知ってもらいたいと思っています。自分が辛かった時期に、僕は本当に音楽に救われました。当時は鬼束ちひろさんやアニソンなどが自分の応援歌というか、心を癒やしてくれる唯一の存在だったんです。人生の中で何度も歌に魅了され、歌に救われてきた経験があるので、自分の歌を通じて、悩んだり苦しんでいる人達に少しでも勇気が届けられたらと思っているんです。そのためには1人でも多くの人に自分の存在を知って欲しい!そう思ったからこそ、色々な事に挑戦しています。」

自身の経験から、救われる側から救う側になることを掲げ、歌の楽しさを伝え、いま何かに躓いている人達の背中を推す、そんな存在を目指しているという。

「クラシックの良さはもちろんですが、歌うことの楽しさや音楽の力を通じて、いつからだって変われることを体感して欲しい」と語る河野氏。

今では、おっさんレンタルを通じてお悩み相談などの依頼も増えているそうだ。

「おっさんレンタルも、PO100Kも自分が体験すること全ては自分の見識を拡げることに繋がって、それがまた自分の音楽の深さへ通じていくと思っています。そうして様々な経験を吸収することで、より多くの人の心に届く音を奏でられると信じています。」

正に、河野さんの歌声には心を癒やすだけではなく、どこか心が奮い立つ、自分を見つめ直したいと思うそんな気にさせるなんとも言えない力が備わっているように感じる。心の底から自然と湧き出る安心感、包容力のある歌声がなんとも心地よい。

河野氏の歌声に魅了された人達からはこんな声が寄せられている。

・キレイな声
・心が洗われる、素敵な声
・心に響きます
・朝から泣いてしまった、癒しの声
・ずーっと聞いてられます

男とか女とか関係ない、ただ1人の人間が奏でる唯一無二の「歌声」。1度聞いてしまえばあっという間に虜になってしまう癒しの音色。

辛い経験を経て今がある、全ての経験は歌と共にあり、歌が自分に勇気を与え、今に導いてくれている。そんな音楽を奏で続ける河野氏だからこそ、誰かの支え、誰かの勇気、誰かの癒やしに、という確固として抱き続ける想いがある。

多様な社会だからこそ、ありのままの自分らしさを貫く河野氏のこだわり

自身がゲイであることを公表している河野氏。生まれ育った茨城県はいわゆる「田舎」であり、ピアノを弾いたり歌を歌ったりという姿は、当時は物珍しく、「男の子がピアノを弾くなんて・・・」という偏見も少なくなかったという。事あるごとに、「男の子らしさ、女の子らしさ」が強調されてしまう環境の中で居心地の悪さを感じていた幼少時代の河野氏。

「今でもですけどね、その当時からセーラームーンとか可愛い物が好きでしたね。」

当時は周りにびっくりされることも多く、自分自身を表に出すことに対しては消極的だったという。様々な差別用語や自分否定と捉えられる言葉にさらされることも少なくなかったと語る河野氏は、周りから見れば自分は相当異質な存在だったんだろうと昔を振り返る。

時代が変わり、今でこそ性的マイノリティへの認知はその当時と比べればかなり進んだ。世の中には色々な人がいて、少年漫画が好きな女の子もいれば、かわいい格好をすることが好きな男の子もいる。都会で育った人もいれば、田んぼや山しかない田舎で育った人もいる。結婚をする人もいれば、一生独身を謳歌する人もいる。

「どんな人も自分の人生を生きている。生まれた場所や見た目、性別のせいで人の可能性を誰かが奪ってしまわないように、みんなが前向きになれるそんな選択肢を考えてくれたら嬉しいなと思うんです。」

他人との違いに悩んだ幼少期、自分の可能性や未来が奪われていくような恐怖にいつも付き纏われていた。そんな中で、自分にいつも勇気を与えてくれた、輝く未来を見せてくれたのが音楽だった。

「当時、新世紀エヴァンゲリオンのアニメが好きで見ていたんです。ストーリーはもちろんなのですが、その中でも特に僕が心惹かれてしまったのが、声優をやりながら歌手として活躍していた林原めぐみさんの存在でした。林原めぐみさんのラジオに夢中になっていて、小学校の時の夢は、「声優になってラジオパーソナリティーをしたい!」でした。」

と語る河野氏。実はその両方の夢を叶えつつある。

2016年から2年半、渋谷クロスFMにてパーソナリティーや、茨城県牛久市のCTVにてパーソナリティーも務め、さらには、ABEMA TVの「声優と夜遊び」にも出演し、うる星やつらのラムちゃん役の上坂すみれさんとも共演を果たすなど、音楽を諦めなかったからこそのチャンスを今つかみ取っている。

自分のように様々な思いを抱えて、日々悩み続ける人達に「音楽・歌の力」で何か刺さって欲しいと願う河野氏。自分が過去に音に救われたように、自分の歌を通じて心を奮い立たせたり、勇気を持ったり、一歩踏み出せる未来のお手伝いをしたい!と力強く語る。

藝大卒業後、「もっと音楽を学びたい」という強い想いが湧き上がったと同時に、性的マイノリティ当事者というアイデンティティにまつわる活動にも取り組み始めた河野氏。多様な性を考える会 にじいろ神栖を創設し、地元茨城県を中心に当事者のネットワーク作りや教職員等への研修・講話などにも積極的に携わっている。

地元の大学での講演や地域自治体でのワークショップなど、人との違いを輝いて生きるをテーマにトーク&コンサートを開くなど幅広い活動で世の中に性の多様性を周知する活動を行っている。

「自分の好きなことを好きって言って良いと思いますし、男とか女とかは関係なく自分の好きなことを主張して楽しんで人生を謳歌して欲しいと思っているんです。音楽も一緒で、好きなことはなんでもやってみたらいい、自分にバイアスをかける必要はないんですよね。僕は低い声ですが女性の歌も高い歌も好きな曲なら歌います!」

「オペラの世界では、体型による差別のようなものはほとんどないと思います。歌を歌ってすごい!と思われれば身体の大きさや性別なんて超越します。音楽の世界にいると自分らしくいられるんです。自分を丸ごと好きになれる、だからありのままの自分を発信していきたいと思っています。それが僕が音楽をやる中での確固たる思いみたいなものなんです。」という河野氏の顔は未来への高揚と自信で輝いていた。

「誰かの原動力に!」を抱げ、ありのままの自分で歌い続ける河野氏。これからもっと多くの人たちに心に響く歌声と勇気を与え続けていく。

今後の夢 日本を飛び出し歌声を世界へ届けたい

最後に、1956年に創設された日本を代表するプロ合唱団「東京混声合唱団」のレジデントメンバーとして既にこの春から活動が始まっている河野氏。音楽での活躍が大きく大きく広がっていく中で今後の更なる夢や展望を伺った。
東京混声合唱団

「こんなことを語るとおこがましいかもしれないのですが、世界で歌いたいって思っています。夢は海外進出です。」

今までの経歴や経験を聞く限り、すぐにでも叶いそうな夢に思えるが、世界進出を掲げる河野氏には確固たる思いがある。

「いま、色々な方とコラボをさせていただいたりお声がけをいただいたり、本当に感謝でしかないのですが、みんな自分の味方になってくれる人達ばかりなんです。ゲイでも体型にコンプレックスがあっても自分の味方が多ければ多いほど、世界は楽しく輝かしいものになっていくと僕は思います。差別と偏見は様々な場面でいつの時代も浮上してくる物だけど、たった1人でも味方を見つけることで前に進む力になると信じています。だからこそ、もっと多くの人に自分を知ってもらい、世界の様々な人や文化を知ることで自分の表現の幅も広がる。幅が広がることでより多くの人の背中を押せたり、勇気を与えることができると思っています!」

世界で歌いたい理由は、自分の歌がより多くの人の心のよりどころに、そして癒しや勇気になってほしいから。日本よりも差別のひどい国も存在する。歌を通じて自分自身を発信することで、人生に希望や光を見出して欲しいという想いがそこにはある。

ふるさと茨城県も東日本大震災の被害を受けた。コロナ禍で、歌いたくても歌えない3年間を過ごした。音楽を諦めそうになっても、異なる分野にも目を向けながら音楽を続ける為に色々な事を模索し続けてきた。そのたびに音楽が自分にとってどれだけ大切なものであるかを痛感し、音楽と共に人生があることをかみしめた。だからこそ、自分を通じて誰かの支えに、誰かの助けになれるよう刺さる歌声を今後も世界へ発信していきたいのだという。

「夢を信じ続け模索し続ければ、たとえ紆余曲折したとしても、きっと叶うんじゃないかと僕は信じています。」

ひたむきな努力と、多くの葛藤と向き合ってきた経験が1つ1つ夢を叶えることを知っている河野氏。近い将来、世界へ響く歌声へ進化するに違いない。「複業声楽家」を名乗り、活動を展開する河野氏の今後の活躍が楽しみでならない。

声楽家 河野 陽介(かわの ようすけ)

  • 出身:茨城県神栖市
  • 千葉県立佐原高等学校、東京藝術大学音楽学部声楽科卒業
  • 幼少期から合唱音楽に慣れ親しみ、現在は日本を代表するプロ合唱団である「東京混声合唱団」や「ハルモニアアンサンブル」に所属
  • 劇団四季ミュージカル「ノートルダムの鐘」や、小澤征爾音楽塾のオペラ公演などの舞台に出演
  • ソリストとして、ベートヴェン作曲「交響曲第九番」、フォーレ作曲「レクイエム」、モーツァルト作曲「ミサ曲ハ短調」をアンサンブル金沢等と共演
  • NHK Eテレ「ムジカピッコリーノ」、BS-TBS「日本名曲アルバム」などメディア出演多数
  • スタジオミュージシャンとして、「踊る大捜査線」「Re:ゼロから始める異世界生活」「ゴールデンカムイ」などのサウンドトラックのレコーディングに多数参加
  • 二宮和也主演映画「ラーゲリより愛を込めて」の主題歌Mrs.GREEN APPLE「Soranji」ではバックコーラスを担当した
  • おっさんレンタル、デブカリといったヒューマンレンタルサービスにて様々な依頼を請け負い、シェアリングエコノミーの現場にも身を置く
  • 大きいサイズのメンズ服モデルとして、ミッド・インターナショナルの企画「PO100K」に参加
  • 多様な性を考える会にじいろ神栖 代表、茨城県人権教育講師として、性の多様性について各地で研修、講話等も行う

この記事を書いた人: L-Life編集部
L-Life編集部
20代から◯代までの女性、男性が集まるL-Life編集部。
体の大きな人の生活をより豊かに、笑顔あふれる毎日を創るをコンセプトに、大きいサイズの人たちへ情報を発信中。

Twitter https://twitter.com/l_life_magazine/
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