心も体もビックな人の超一流な取り組みを掘り下げる「BIGな流儀」。日本各地で活躍するビックな人たちが熱く掲げる「世界中の人たちを笑顔にする」本気の取り組みに密着するL-lifeの連載は、記念すべき第1回目の障害児通所支援事業所を展開する鈴木彰伯氏に続き、今回で2回目。
社会貢献という名のビッグメンたちの本気の取り組みが世界中の様々な人の人生に楽しさという彩りを添える。大きいサイズのメンズ通販サイト「ミッド・インターナショナル」が展開するビックサイズプロジェクト、「Proud of 100k(プラウド・オブ・ワンハンドレッド)」に参加し、自らモデルとして活躍するビックな人たちの想いを届けます。
キラキラと水面が輝く海と澄み渡る青い空、後ろを振り向けば山々がそびえ立つ、自然豊かな駿河湾沿いの景色。その景色に同化しきれないインパクトのあるお店「お車処 こいけ屋」。
本日の主役、小池祐一郎氏がオーナーを勤めるお店だ。
静岡県沼津市江浦で自社認証工場を完備した自動車買い取り、新中古車販売会社を運営する一方で、自身が生まれ育った沼津市の地域活性活動を行い、地域支援事業「太助合同会社」の代表でもある。
22才で「お車処 こいけ屋」を立ち上げた小池氏。周囲からは沼津南部は商売をする土地では無いと言われ続けたものの、だからこそ地元沼津の利便性のハブになりたいという思いがあり、地域で車のお悩みを抱える人たちの役に立ちたいと独立。
その後、花火大会の開催や沼津の良さをPRするYouTube配信、まちの未来をつくる地方創生のためのクラウドファンディングの立ち上げなど、様々な活動を沼津の活性化のために行っている。
「思い返せば、独立した頃から地域のために沼津のために、何かしたいという想いが潜在的に働いていたんだと思います。沼津を北伊豆化する原点でもありますね。」と当時を振り返る小池氏。
静岡と聞いて思い出すのは、富士山、伊豆、熱海というキーワード。
「ご覧のとおり食べることが大好きなので、日本全国どこへでも『食旅』(全国ツアー)へ行くんですけどね。関西より西のタクシー運転手さんに『どこから来たの?』と聞かれて『沼津です』って言うと、『ぬまづ?どこ?』ってほぼ100%聞き返されるんですよね。あ~・・・自分のふるさとは関西方面には全く知られていないんだな~と、ツアーに行くたびに痛感するんです。」
「沼津というとほぼ通じないんですけど、伊豆の北っていうとあっさり通じる。だから『北伊豆』って僕はいつも伝えています。実際には『北伊豆』なんて地名は存在しないのですが、ほぼ100%みなさん、あぁ~北伊豆ね!って返してくれますよ。それで沼津に伊豆のブランドをくっつけて『北伊豆化』しようと思ったんです。」
小池氏が生まれ育った沼津の南部地区は内浦・西浦・静浦を合わせて三の浦という。人口減少化が加速するこの地区に移り住む人たちを増やしたい、そのためにはまずこの土地を知ってもらいたい、そんな想いからとっさに出た「北伊豆」という地名。
知らない地名知らない場所に、行ってみよう、住んでみようと思う人はいない、だからこそ知名度の高い「伊豆」を利用して『北伊豆化』を定着させたいと、様々な取り組みをしてきた小池氏。
小池氏は3年ほど前に民間で「北伊豆」の看板を設置。その効果もあり、今では日本国内だけではなく、海外の方からも「沼津三の浦地区=北伊豆」と認識されはじめているという。「北伊豆」が世界に通用する地名として北伊豆化計画の起爆剤に。
ふるさと愛に溢れる取り組みを多く手がける小池氏、中でも沼津三の浦地区を一躍有名にしたイベントがある。それが「江ノ浦湾花火大会」だ。
28才の時に同世代の仲間と語り合った沼津の地域復興計画。ふるさと沼津の三の浦エリアの良さを日本全国、いや世界の人に知ってもらいたい、三の浦に足を運んでもらいたい!という想いから、海に囲まれたこの地域ならではの花火大会を発足した。
小池氏が生まれ育った沼津の南部地区、静浦では子供の人数が急速に減り、地区に10名ほどしか子供がいない時期もあったという。高齢者率40%超に対して人口減少率は約6割と危機的な状況。
「自分の子供も含め、同級生がいないのが当たり前なほど子供が少ない、自分が生まれ育ったふるさとからどんどん人が出ていって、この土地の未来がとても心配になりました。」と小池氏は語る。
子供が減っている1つの要因に、津波災害の影響があるという。地震や台風の影響など自然災害の影響を受けやすい静岡県。地元で生まれ育った人たちが津波を恐れて離れていってしまう。
「津波災害をみなさんとても怖がっているのですが、実際にこの三の浦というエリアは奥駿河湾というエリアなので津波の最終到達地点なんです。だから、津波の到達が他のエリアよりも遅いですし、奥駿河湾は山を背負っているから高台が近いんです。」実際に地域のお年寄りにご協力いただき、沿岸から高台まで約8分で到着出来たという。
「だからこのエリアは津波が来ても逃げる時間が十分にある地域なんだと知っていただきたいんですよ。」
津波災害の影響を正しく知ってもらうためにも、また沼津に少しでも多くの人がとどまってもらう理由作りとしても、「江ノ浦湾花火大会」の開催が必須だったという。
とはいえ、若干28才の若者たちの新しくも突拍子もない夢は、古い世代が多く住むこのエリアでは中々受け入れられず、協賛をお願いしても協力を得られるのは困難だったという。時にはお金を投げつけられ、怒鳴られたことも1度や2度ではなかった。まさにお金を1枚1枚集めるような小池氏たちの地道な活動の成果もあり、徐々にお金が集まりはじめたという。
しかし、追い風に乗りはじめたのもつかの間、花火大会を開催するには想像以上に費用がかかる現実を突きつけられた。大規模な花火大会を開催するのはあきらめるしかないのかと思いはじめた頃、タモリさんの存在を思い出した小池氏は即行動に出た。
江浦にヨットを保管し、江浦で「太助」というもんじゃ焼き屋さんを経営していたタモリさんに花火大会の協賛を直談判。この時もちろんタモリさんと面識などなかったという。当時28歳だった小池さんたちのふるさとを想う熱い気持ちがタモリさんに伝わり、花火大会の協賛を快諾された。
実行委員長としてこの地域への想いを熱く語る小池氏の想いに賛同し、快く協賛を引き受けてくれたタモリさんをはじめ多くの方の協力があり、 若干28才の若者たちの新しくも突拍子もない夢は2005年に現実のものとなった。「江ノ浦湾花火大会」当日は、年々人口減少が進む三の浦地区に1万人以上の人が訪れたという。
花火大会をきっかけに自治会だけではなく、若い世代の人たちも地元を盛り上げる取り組みに共感してくれ、イベント終了後も様々な繋がりが出来始まった。2012年には「タモリカップ沼津」が開催され、その前夜祭として「江浦納涼祭」も行われた。そして約10年ほど開催している沼津の一大イベントとなった花火大会は民間から唯一、沼津の宝100選に選出されることに。
この頃から沼津を『北伊豆』として意識し、もっと多くの人たちに沼津の良さを知ってもらうための取り組みが本格的にスタート。小池氏の地域復興を目指した事業が加速し、自身の人生も大きく変わったという。
「江ノ浦湾花火大会」をきっかけに様々なご縁が紡がれたという。この頃、沼津=北伊豆の地域活性の加速に繋がる会社、「太助」を設立。
社名の「太助」はかつてタモリさんが北伊豆で営んでいた飲食店の名前。タモリさんは、タモリカップ(ヨットレース)開催、地元納涼祭への参加など、北伊豆の人たちの為にと様々な活動をしてくれた。そのタモリさんの意志を引き継ぎたいと伝えたところ「太助」の使用を快諾されたという。
「太助」の設立と共に小池氏の地域復興支援に賛同してくれたのが多くの芸人さんたちだった。地域の未来を見据え、若い世代が自分の想いを形に出来る場所を作るために奮闘している小池氏の姿は、タモリさんを含めた多くの芸人さんたちの心を動かすことに。今では北伊豆でのイベントの参加など積極的に芸人さんたちが協力してくれるという。
花火大会を開催する中で多くの人が沼津=北伊豆を訪れ、この地域の魅力を知り始めているという感覚があり、北伊豆エリアへの居住者を増やす取り組みに乗り出そうと、小池氏が代表を務める太助で不動産事業を展開。
「ちょうどその頃、太助の宅建士が北伊豆の過疎化を痛感し空き家調査などを行い、この過疎化を何とかできないかと働きかけてくれたんです。さらに花火大会で紡いだ芸人さんのご縁で、西伊豆出身のテレビカメラマンさんが沼津=北伊豆計画に共感してくれて、北伊豆の魅力をPRする動画製作のクラウドファンディングを立ち上げたんです。」
静岡県沼津市 まちの未来をつくる地方創生プロジェクト「北伊豆プロモーションビデオプロジェクト」
「今はまだ浸透途中の『北伊豆』を10年後には定着させて、沼津=北伊豆の新しい未来を作りたい!子供たちに希望のあるふるさとに住んで欲しいんですよね。今のままではこの地域はダメになってしまうから。」
小池氏の熱い想いが多くの人に届き、クラウドファンディングは目標金額を達成。その後、吉本の芸人 富士彦さんと共に北伊豆の魅力を発信する「北伊豆チャンネル」を北伊豆PR動画制作委員会として立ち上げ、北伊豆グルメや地域情報などを発信している。
中でも、北伊豆の優良物件を紹介する「日本一安い富士彦ハウジング」では北伊豆にある空き家物件を紹介。北伊豆への居住の魅力を発信するなど、北伊豆に住むというイメージを具体化するための動画発信をし続け、移住希望者に不動産を仲介することを目的とした取り組みを行っている。
YouTube配信をきっかけに北伊豆の知名度を上げつつある中、移住希望者がいても紹介できる物件が無いと機を逃してしまうと考えた小池氏は、空き家物件の現状把握に乗り出し、移住者と空き家のマッチングを加速化させている。
インタビューで訪れた小池氏の事務所には売約済みの物件がたくさんあり、少しずつ北伊豆への居住者が増え始めているという。
どんなことに対してもまずは行動してみようという小池氏のモチベーションのすごさ。このモチベーションこそが北伊豆計画の急速な加速に繋がっているのだと確信する。
北伊豆を定着させることでまちづくり活性化を促す小池氏。沼津=北伊豆のPRのためなら何でもやる!が小池氏の信念。北伊豆の魅力を伝えるために、フィルムコミッション事業を展開し、映画やTVなどのロケ場所として誘致している。
北伊豆の魅力を存分にアプローチしたことで、のん主演の映画「さかなのこ」のロケを行ってもらったり、
綾野剛×館ひろし主演の「ヤクザと家族」に小池氏自らが出演したり、
さらには体が大きいことを活かし、大きいサイズのメンズアパレル通販サイト「MID international」のモデルとして活躍。体が大きいことへの誇りをテーマにしたプロジェクト「Proud of 100K」にも参加し、カタログなどでも特集が組まれている。
過疎化を止めるためにスタートした空き家物件と北伊豆に興味のある人をマッチングさせる取り組みでは、宝島社の「田舎暮らしの本」から取材され、沼津の特集が組まれた。
自分の魅力ではなく、北伊豆を広めるためのPRに余念がない小池氏。『北伊豆』を全国、いや世界にとどろかせ、町おこしに奮闘する小池氏の姿はお世辞抜きにただただカッコいい。
今回のインタビュー中、誘致の話や映画出演の話もたくさん聞かせてくれた小池氏。その話の中では常に、「北伊豆って●●でいいところなんだよ」「住みたくなった?」「北伊豆に人をたくさん増やしたい」と、ふるさとを想う気持ちが話の端々に溢れていた。(自分のふるさとのことをこんなにもキラキラした目で説明出来る人が日本に何人いるだろうか?)
「この雑誌がきっかけで子供を連れて7人で都心から移住してくれたご家族がいるんですよ!7人ですよ!めちゃくちゃ嬉しくて!」と満面の笑みで小池氏は語る。
子供が海岸で遊ぶ姿をもう何年も見ていない、昔のように自然豊かなこの地で多くの子供が笑顔ですくすくと成長する姿を見たい、地域の人にも喜んでもらいたい、沼津=北伊豆化プロジェクトが全てを実現してくれると信じて疑わない。そんな小池氏の想いは頑なだった地域の大先輩たちも動かしてしまうほど情熱に溢れていた。
「全て僕1人だけの力ではできなかったです。本当に周りの協力があって、助けがあってここまでこれた。なんなら僕は何もしてないです、周りですよ、やってくれたのは。本当に感謝しかないです。今後は自分よりも若い世代が自分と同じように北伊豆の未来を描く時、支援する側、相談側になりたいと思っています。」
北伊豆出身ではない方たちからも多くの支援や協力を受け、この地で生まれ育った自分がその先導者になることは当たり前という強い思いと謙虚な姿勢を貫く小池氏。
誰かが一歩踏み出さなければ何も変わらない、だから自分が行動するという選択を常にしてきた小池氏。取材中のニコニコした笑顔の奥に、やり遂げる信念と熱意が垣間見えた。それほどまでに小池氏にとって『北伊豆』という地は大切な場所なのだ。
北伊豆ブランドを活性化し続ける小池氏。その取り組みに沼津市長からも感謝の想いを伝えられるほどに。これだけの地域復興支援を手がける小池氏に、将来的に市議会や県議会などに立候補しないのか?と素朴な疑問を投げかけた。
「それは恐れ多い、キャラ的に僕が先頭に立っているように見えるけど、実際僕はただのキャラクターみたいなもので、周りの助けがないと何もできない。僕にできることは北伊豆の広告塔になること。この大きな体でみんなを引きよせる役割として地域に貢献したい。」
大きいサイズのメンズアパレル通販サイトMID internationalでビックサイズモデルとしても活躍している小池氏。体が大きいことは広告塔としてとても役に立つ、デカい自分だからこそ魅力を感じてもらえる、1度で覚えてもらえる、自分が北伊豆の広告塔になる、それが自分の役割だと言い切る小池氏。体だけでなく心も超ビックだ。
改めて小池氏に北伊豆の未来について夢を聞いてみると、
「若い人たちが自由にいろんな事に挑戦できる北伊豆にしていきたい。上の年代が若い人たちを押し上げるような可能性無限大の、若い世代が先頭に立てる魅力のあるエリアにしていきたい。固定概念に縛られない、当たり前じゃないことをたくさん手がけられる、そんな町を作りたいですね。」と語る小池氏。
さらに10年後の自分の姿を聞いてみると、
「10年後かぁ~、自分が花火大会をやろうとした時、中堅世代のたくさんの先輩たちが自分たちの盾になってくれたんです。ものすごく心強かったし、感謝しかないです。自分がその先輩たちの年代になってきた今、20代30代の若い世代を支援したいですし、若い人たちのために力を使いたいですね。」
と今の北伊豆をさらに進化させるために若い世代の支援に励む未来を描いている。まさに、北伊豆のリーダーと言っても過言ではない。
「沼津って東京からだと100Kmぐらいの距離なんですよ。車で海沿いを走りながら、豊かな自然を堪能して美味しい魚を食べて、富士山を眺めて都会に帰る、意外と近いリゾート地なんです。ドライブにちょうど良くて、アルバムが1枚聞き終わるぐらい。そんな風に気軽に北伊豆にドライブに来てもらって魅力を見つけてもらって、もっと多くの人に愛してもらえる北伊豆にしていきたいです。」
小池氏は北伊豆にツーリングで訪れた人たちに声をかけ、バイクと海のハッシュタグを付けてSNSで発信する活動も行っている。これも全て北伊豆の魅力を伝えるためだという。
自分のふるさとを愛し、そのふるさとの未来を考え、魅力を発信し続ける。100年先も北伊豆が豊かで活気溢れる地域であるように、この先も全力で「沼津=北伊豆化プロジェクト」と題した地域復興支援を続けていくという。
小池氏の魅力が多くの人とのご縁を紡ぎ、だれも想像していなかった未来を力強く引きよせる。近い将来、沼津=北伊豆が当たり前になると信じてやまない。
静岡県沼津市にて太助合同会社を設立。
主な事業内容
・ 宅地建物取引業
・ 地域支援事業
・ リフォーム業
・ 空き家管理事業
沼津=北伊豆化プロジェクトを発足し、北伊豆エリアにある空き家物件を中心に北伊豆への移住に興味がある人たちへの仲介業をおこなっている。
地方創生プロジェクト、北伊豆エリアの過疎化を脱するために若者の相談支援を行い、若い世代が北伊豆というエリアでやりたいことをやれる町づくりに貢献。北伊豆エリアへ映画やTVの誘致を行い北伊豆のPR支援も行う。